ああ、サウダーデ…哀愁のリスボン旅行⇒期間:1997年 10月29日~11月3日 やっと念願だったポルトガル――リスボンに行くことができました。同行者は女房だけ、いってみれば旧婚旅行です。
by sr_barbieri
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あとがき

日付も変わった11月3日の午前8時40分頃、私たちの乗ったKLM機は大阪・関西国際空港にランディングしました。

 リスボンで買ったハモンやチョリソが見つかるかなと気をもんだのも杞憂に過ぎず――

 ――どちらからお帰りで?

 ――アムステルダムです。

 ――観光ですか?

 ――はい。

 ――どうぞお通りください。 

 と、なんのおとがめもなく税関をパスしました。「SEE BUY FLY」と大きく書かれたスキポール空港の黄色い免税店バッグを持っていたのがよかったようです。

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最後までお読みいただいてどうもありがとうございました。

 半分は自分の不注意とはいいながらオーバーブッキングにあってしまうなど、冷や汗もののポルトガル旅行でしたが、不思議にあわただしかったという印象がありません。これもすべて旅で出会った心やさしい人々と、大航海時代以来の豊かな歴史を今に伝えつつたおやかに時が流れるリスボンの町のなせるわざだと感じています。

 ヨーロッパの果て、イベリア半島の西の端に位置するポルトガルは、どうひいき目に見てもEUの優等生とはいいがたい国ですが、国民の総意で原子力発電所を持たないことを選択し、そのかわりにひとりひとりが節電する習慣を徹底させるなど、見習うべき点が少なくありません。今になって考えてみれば、リスボン空港に到着したときに薄暗く感じられたのは、深夜ゆえに不要な照明がかたっぱしから消されていたせいなのでしょう。

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NO AEROPORTO INTERNACIONAL

DE SCHIPHOL


 最初のページにも書いたとおり、今回の旅の目的のひとつはファドを生で聴くことでした。できれば3夜連続で、少なくとも2度は聴きに行きたいと思っていたのですが、ご覧のような結果に終わってしまいました。とりわけ最高のファディスタが出演するというバイロアルトにある『ア・セヴェーラ』に行けなかったのが心残りです。

 しかし、考えようによっては、これでまたポルトガルを再訪する理由ができたわけですから喜ぶべきかも知れませんね。

 心残りついでに書き記せば、3日目にはベレンの塔や発見のモニュメントのあるベレン地区(リスボン西部)を観光する予定でしたし、せっかく購入したリスボア・カードも、結局アルファマを通り抜けてグラサ展望台までチンチン電車で往復しただけでした。宝の持ち腐れとはこのことです。数ある美術館や博物館にひとつとして行けなかったのも残念です――残念ですが、遙かリスボンに想いを馳せて耳を澄ますと、旧式のチンチン電車が急勾配になった狭い路地を曲がるときの車体のきしむ音や、ラパのファドレストランで聴いたマリア・ダ・フェの絶唱が瞬時に甦ってきます。

 あまりに短すぎる滞在でしたが、これだけのためにでもリスボンに行けてよかったとしみじみ実感しています。

 「儚(はかな)い」という言葉を失ってしまった日本と日本人に愛想を尽かせて、自分が死んだらスペインのセビリアを流れるグゥアダルキヴィール川に灰をまいてほしいと遺言しているのは、ガルシア・ロルカを吟じるので知られる個性派俳優の天本英世さんですが、まだテージョ川に散灰してくれとは断言できないものの、少しだけですが、私にもサウダーデのなんたるかがわかったような気がします。

……ほんのちょっぴりだけ……


それではみなさま ADEUS!




※天本英世さんは、2003年3月23日に亡くなりました。ご冥福をお祈りします。


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# by sr_barbieri | 2010-11-14 00:57

5日目―SAIDA(出国)

というわけで、いよいよ旅行も最終日を迎えました。

 帰国の便は午後1時20分発ですから、時間的には理想的な状態といえます。しかも、熟睡したので寝覚めもバッチリ!

 これがリスボン発の午前5時35分の飛行機だったすると、モーニング・コールを頼んだり、あたふたと洗面したりと、さぞやあわただしかったことでしょう。なにが幸いするやわかりません。「人間万事塞翁が馬」(説明)とはよくいったものです。

 さて、しようと思えばアムステルダム観光もできるわけですが、朝食がてらにロビーに降りてみると、7、8メートル先も見えないほどの深い霧がかかっています。霧のためによくは見えないのですが、ホテルの前には運河があって、さらにその向かうには鉄道が走っているようです。

 これでは、『オランダ・ベルギー8日間の旅』に参加された札幌のおばさまたちは、毎日不平タラタラだったと思われます。でも、せっかく直行便が就航したのですから、これにこりずにまた来てくださいね――と、イベリア半島狂いの私は冷たく突き放すのでありました。

 オランダの土を踏んだ記念に、ホテルの土産売場で風車や木靴のマグネットを数点買いました。小物ですから大した荷物にはなりません。

 午前10時半です。そろそろチェックアウトをすることにします。当然ながら支払ったのは日本への国際電話代22.8ギルダー(1460円)だけでした。

 30分間隔で空港を往復しているホテルの送迎バスに乗りましたが、車窓から見えるのはやはり乳白色の霧ばかりです。霧のせいで昨晩より空港までの時間が長く感じられました。

 搭乗ゲートが開くまでにはまだ時間があります。広大なスキポール空港の免税店をひやかすことにしましょう。

 時計売場に珍しく漆黒の髪をした美人店員がいたので話しかけてみると、スペインはアランフェス出身だといいます。私が少しスペイン語ができると知って、彼女は水を得た魚のように早口のスペイン語で話し始めました。こちらで日常的に使っているのはもっぱら英語かオランダ語でしょうからね。

 ――昔、アランフェスの離宮の近くにある『プリンシペ』という古いオスタル(安いホテルをスペインではこう称します)に泊まったことがあるよ。

 ――本当? 私の家のすぐ近くだわ!

 ――ところで、マドリッド~アランフェス~トレドの順だったっけ?

 ――そうよ。アランフェスからなら、どちらへも車で45分で着くわ。アランフェスは昔とは変わったわよ。

 ――トレドは絶対に変わらないだろうね。未来永劫。

 ――ノー! ・シェンプレ・ヌンカ・カンビアラ!(絶対に変わるものですか!)

 と話が盛り上がり、気がついたときには、安物のスウォッチと、こちらはまあまあ高物の女性用腕時計――女房用です――を買っていました。

 いくつになっても男は美女には弱いものです。またしても写真をとらなかったのが残念。今回の旅行は後悔することが多いなぁ……。

 そうそう、トレドやアランフェスを流れているタホ川(Rio Tajo)が、テージョ川(Rio Tejo)と名前を変えて大西洋に流れ込んでいるのです。その河口に開けた港町がリスボン!

 機内はほとんど日本人ばかりで、やや空席が目立ちます。これならリコンファームしなくても乗れる道理です。さすがにビジネス・クラスへのアップグレードまではしてくれませんでしたが、3人掛けの席をふたりで使用できたので、エコノミー・クラスとはいえ快適でした。

 かくして私たちは、無事機上の人となったのであります。 

おまけの画像

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スウェーデン沿岸上空


エッ? こんなのよりそのスペイン美人が見たかった? ティエネ・ラソン(おおせのとおりです)。(^_^;
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# by sr_barbieri | 2010-11-14 00:51

4日目―ながーい一日

どうせ眠れないのならと暗いうちから起き出して荷物を整理し、身支度を整えてすばやくチェックアウトをすませました。チエックイン時にクレジットカード(VISA)のインプリントが完了しているために、カードを取り出す必要すらありません。紅毛碧眼の人間には怪しげな記号としか映らないであろう崩した漢字――単に悪筆なだけという説もある――でサインをするのみです。

 しかし、どうして一日早くチェックアウトしたのかと不思議に思われるかも知れませんが、その答えは、リスボンからアムステルダムへ飛んでいる飛行機がそれほど多くないということなのです。しかも、到着時刻がどれも中途半端です。

 曜日によって多少違いますが、私たちが乗るはずだったKL494便――リスボン発 05:35――アムステルダム着 09:35――の予約がキャンセルされてしまったとなると、そのあとのKL便は、12:40発のポルト経由と14:00発しかありません。これではどう逆立ちしても、アムステルダムを13:20に離陸する大阪行きには搭乗できません。タイムマシーンでもあれば話は別ですが、1時間程度の時差ではお話にならないのです。

 他の便としては、地元ポルトガル航空(TAP)がアムステルダムへ向けて飛んでいますが、正規運賃を払ったところで、09:35発の1ストップと10:45発の2本で、アムステルダムに着くのはどちらも14:30です。大阪行きは1時間以上も前に離陸しています。

 えっ? 別に成田行きとかでもいいじゃないかですって――? 

 甘い! 格安航空券は正規運賃と違って、他の便への振り替えはいっさいできないのです。乗らなきゃそれでパー。

 つまり、なんとかして本日中にオランダ入りしなければ、どうあがいても明日の帰国便(予約が生きていればの話ですが……おおこわっ!)には間に合わないということなのです。

 接続の関係で明日早朝のアムステルダム行きに乗れなければ、もう一泊しても意味がないという理由にガッテンしていただけましたでしょうか?

 ――ガッテン! ガッテン!

 はい。みなさんガッテンしていただいたようですね。

 リスボン空港にて――

 KLMのカウンターが開く午前9時まで、すでに営業を開始しているポルトガル航空――TAPのカウンターに立ち寄って時刻表をもらいました。念のためにアムス便に空席があるかと訊ねると、今のところ大丈夫との返事でひとまず安心しましたが、肝心のアムステルダム――大阪の予約確認ができていない現状では、百パーセント不安が解消されたわけではありません。

 空港ロビーにあるセルフサービスのコーヒーショップで時間までねばることにしました。いらついて待っているので時の経つのが遅いこと――。

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初登場、女房です。顔で笑って……


 ようやくKLMのカウンターがオープンする9時になりました。パイプでできた素通しシャッターの向こうでは、青い制服に身を包んだオランダ人らしき恰幅のよい女性が、カウンターに置かれた花瓶からしおれた花を取り除いています。

 ――おいおい、そんなことしているひまがあったら早く開けてくれよぉ……。

 哀れな東洋人の願いが通じたのか、奥から男性職員が出てきて手際よくシャッターを上げてくれました。

 航空券を見せると、案の定、今日の12:40発のKL便でアムステルダムまで行ってくれといいます。

 私はつたない英語で、72時間以上前に東京オフィスに予約確認の電話を入れたとはずだと主張したのですが、残念ながらキャンセルされたあとだったといいます。

 思うに、あの時点で東京からファックスを送ってくれたところで、どうせ朝の9時にならないとリスボン・オフィスは開かないわけですから、受け取ったときにはすでに72時間を割っていたのでしょう。現地で無理なものは、東京からでも無理だったということですかね……。

 ただ、ファックスにしろ電子メールにしろ歴然とタイムスタンプが残りますから、深夜だったとはいえ、72時間以上前だったという私の主張もまんざら根拠のないものではありません。

 懸念のアムステルダム――大阪便はしっかりリコンファームされていました。これはほんとうにうれしかった。このことでどれだけ不安感にさいなまれたことか……。

 アムスでのホテルの費用や食事などもすべてKLMがもつというので、不承ながらという態度をとりつつも、内心では喜んで従うことにしました。いわゆるひとつのオーバーブッキングの扱いですね。

 本音をいえば、朝5時45分というフライトがいやだったのです。トラブルを考えて2時間前に空港へ行くとすれば、午前3時台にホテルを出なければなりません。だいたいそんな時間にタクシーをつかまえることができるでしょうか。日本で予約するときに確認しましたが、ホテル・メリディアン・リスボアには空港送迎用の車はないのです。

 丸一日リスボン観光ができなくなってしまいましたが、これも運命とあきらめることにしました。ああ、サウダーデ――って、こんなときには使わないんでしょうね。

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また来られるかなぁ……


 そんなわけで、私たちはわずか48時間あまりの滞在でリスボンをあとにすることになったのであります。リスボンの空港では、真空パックのハモンセラーノ(生ハム)とチョリソ(ソーセージ)を買いました。これでビールを飲むとメチャウマなんです。

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ビールに最高!


 生ハムなんて日本へ持ち込んでもいいのかなぁ……でも、空港の出国エリアで売っているんだし、真空パックですからね――チョリソは違うけど……。

 途中トランジットでポルト(リスボンの北の町。ポートワインで有名な観光地)に降りましたが、1時間のあいだ機内に閉じこめられたままですから外の様子は皆目わかりません。

 時差もあって、アムステルダム・スキポール空港に着陸したのは、陽も落ちた午後6時ちょうどでした。

  ふーっ。しかし,なんとかアムステルダムまでたどりつくことができました。長距離を飛ぶボーイング747――定員400人以上――などと違って、リスボン――アムスを結んでいるのは中央の通路をはさんで左右に3席ずつという小型機ですから、すぐに満席になってしまうのもうなずけます。

 KLMのホテル・カウンターで紹介されたのは、Holoday Inn Crown Plaza でした。住所が Amsterdam-Schiphol となっていますから空港に近いんでしょうね。ホリディー・インの送迎バス――道路がよいので飛ばす飛ばす、石畳に坂道のリスボンとは大違い――で15分ほどでした。

 案内されたのはダブルのスゥィートで、ズボンプレッサーからファックスまで備え付けられている申し分ない部屋です。(いいぞ、KLM――太っ腹!)

 使いたければインターネットも使わせてあげると案内書に記されていますが、睡眠不足でもうそんな気力は残っていません。

 ホテルのレストランで夕食――ここもバイキング・スタイル――をとりながら、ハイネケンを2本飲んで部屋に戻ってきたら、どっと疲れが出たのか急に酔いが回ってきました。

 ああ、なんと長い1日だったことでしょう……。
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# by sr_barbieri | 2010-11-14 00:46

恐怖のメッセージ

リスボン港の前、コメルシオ広場付近からタクシーでホテルへ戻った私たちは、例によってシェスタ(昼寝)です。

 デイバッグ姿の若者ならいざ知らず、中年になってからの長距離旅行には昼寝が欠かせません。仕事がないのをいいことに、調子に乗って無理なスケジュールを組むと、あとで体調を崩してしまいます。

 日本との時差は9時間ですから、そろそろ留守番をしてくれている娘たちに電話を入れる時間です。女房はなんやかやと長話をしています。チェックアウト時の電話代の請求が心配ですが、留守中別段かわったことはないというのでひと安心。

 ――それでは、しばしおやすみなさい。

 おっと、忘れるところでした。ベッドに入る前に夕食の予約をしておかなければ――もちろんリスボン一のファドレストラン『ア・セヴェーラ』のです。今日はディナーを食べながらゆっくり鑑賞することにします。予約時間は午後8時としました。

 ――それでは、今度こそおやすみなさい。

 

 熟睡して起きたのは午後5時30分ごろでした。

 尾籠な話で恐縮ですが、オリーブオイルのせいなのか突然下痢に見舞われてトイレに入っている時に、部屋の電話が鳴り響きました。時刻は忘れもしない17:50です。

 ――おーい、出ろよ。

 ――だってポルトガル語でしょう?

 ――英語だよ。

 ――…………。

 言葉に自信のない女房はいつまでも受話器を取ろうとしないので、とうとうそのまま切れてしまいました。ところが切れたはずの電話から、ピッピッと時を刻むような電子音がとぎれなく聞こえてくるのです。

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総大理石張り。ビデがあります。


 やっとのことでトイレから出て、受話器を耳に当ててびっくり!

 てっきりパソコン通信の友人で、ロンドン在住のKからのいたずら電話だとばかり思っていたら、着信時刻を知らせるポルトガル語のインフォメーションに続いてテープに録音されていた英語のメッセージが、

――あなたたちの乗ることになっている11月2日早朝の飛行機、リスボン――アムステルダム便はキャンセルされてしまいました。よって、あなたたちは明日空港に来てもらう必要があります。来ないとどうなってもしらんけんね――。

 ――あわわわわ! なんじゃそりゃあ! 何のために高い国際電話代を使ってKLMの東京オフィスまで電話したんじゃ!

 とわめいてみても、相手はテープ、何度でも同じ言葉を繰り返すばかりで応答するわけがありません。この時に何度も聴き直したので17:50という着信時刻が頭にこびりついてしまったのです。現在日本は深夜ですから、KLMの東京オフィスに電話をすることは不可能です。

 ――もしかしたら、日本に帰れないかもしれない……。

 一瞬頭の中が真っ白になりましたが、何度か再生してじっくり聴いてみたところ、どうやらキャンセルされたのはリスボン――アムテルダム間だけで、アムス――大阪については触れていないようです。いないようですが、後半になると時間リミットなのか突然テープがブツッと切れてしまうものですから不安でしかたがありません。

 どうやら、「72時間前までにはリコンファーム」の原則が非情にも適用されてしまったのは間違いなさそうでした。直接ホテルに電話があったということは、KLM東京オフィスが動いてくれた証拠といえます。

 これはオーバーブッキングなのか、それとも私の怠慢なのか……。

 こんなことなら、あのときアムステルダムの空港で女房にいわれるままリコンファームしておけばよかった……時間なんていやというほどあったのに……と悔やんでみても、あとの祭りです。

 しかし……だったら、KLM東京事務所のあの安請け合いは何だったのだ!

 今になって思えば、出発直前にビデオやらドライヤーやら身の回りの電気製品がよく壊れたが、あれは旅行中に不吉なことが起こるという前触れだったのだろうか。

 とにかくホテルをキャンセルして、明日の朝一番に空港に行くしか方法はなさそうです。どうやら10何時間もかけてポルトガルに来ていながら、滞在はわずか48時間だけという情けないことになりそうな雲行きです。それどころか、格安航空券ゆえへたをすれば日本に帰れない最悪の事態も予想されるのです。いや、帰れなくはないでしょうが、ヨーロッパ――日本の正規料金を、それもふたりぶん払えといわれたら、目の玉が飛び出してリスボンの石畳の坂道をコロコロ転がるのは確実です。

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目玉が、私の目玉が……。


 せっかく予約しておいたリスボン――ということはポルトガル一のファドレストラン『ア・セヴェーラ』の予約を泣く泣く取り消しました。こんなときに魂をゆさぶるような、あの悲しいファドの旋律を聞いたらよけいに気が滅入ってしまいます。

  さてどうしようかと女房と相談したところ、土産らしい土産を何も買っていないことに気づきました。しかたがないので、ふたたびタクシーでアモレイアス・ショッピングセンターへと向かいました。

 子どもたち用には珍しい文房具、両親や友人にはアズレージョ(彩色タイル:青色、日本の焼き物でいう呉須)の飾り皿などを買いました。それから夕食と明日の朝食用にと、蟹と鱈のサンドイッチ、ヨーグルト、ミネラルウォーターなども買い込みました――もう、レストランへ行く気力すら失せていたのでした。

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アズレージョ、(絵はがき)


 カウンターでビッカ(デミタスコーヒー)。こんなブルーな状態の時、熱くて濃いビッカは気つけ薬の働きがあります。

 ショッピングセンターの正面にはタクシーがなかなか停まりません。建物の裏手に廻ってやっとのことで1台ゲット、ようやくホテルへ戻れました。

 フロントによって、予定を変更して明朝チェックアウトしたいむね告げました。

 本来ならキャンセルは、前日の正午までにとなっています。それに違反すれば1泊分のルームチャージを要求されてもしかたがないのですが、事情を察してくれたのか、フロントのセニョールはノーチャージでいいといってくれました。ありがたい。

 この夜は帰りのフライトのことが心配で、ほとんど一睡もできませんでした。女房も同様だったそうです。ネッ、やっぱり昼間シェスタをしておいてよかったでしょう――って、今だからこんな冗談もいえますが、この時は気が気ではありませんでしたよ。
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# by sr_barbieri | 2010-11-14 00:28

カシャーリス港のバル

リスボンの対岸、カシャーリス港のバルで食べたものです。

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カウンター奥にあるのはエスプレッソ・マシン

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大きくてもまるごとフライ

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タラのすり身入りコロッケ。うまい!

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こちら入り口側。海鮮ものケース。

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新鮮なエビの塩ゆで、レモンをしぼって。

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# by sr_barbieri | 2010-11-14 00:21

リスボン対岸の港町~カシーリャス

急勾配の坂道を車体をきしませながら滑り降りてゆくおもちゃのようなチンチン電車を下車すると、アウグスタ通りにはそろそろ人が出はじめていました。

 ――さて、これからどうしよう?

 再びパステラリアに入ってビッカをひっかけながら相談した結果、テージョ川対岸の漁師町――カシーリャス(Cacilhas)までフェリーで渡ろうということになりました。

 港にある大衆食堂ファロール(Cervejaria Farol)の炭焼き料理がうまいと『リスボンおじさんひねくれガイド』に紹介されていたところです。

 もうひとつの候補は、やはり対岸の町セイシャル(Seixal)にある『パウロの家』へ行くというものでした。パウロの家は、カステーラを本家ポルトガルに里帰りさせようと、わざわざ長崎からこの地へ嫁いできた智子さんと、ご主人のパウロさんがやっているケーキ屋さんです。

 空いている部屋を利用して2食付きホームステイ・スタイルの民宿も経営しています。女性一人の旅などの場合はとくに安心ですね。ただ港へついてから、さらに15分ほどバスに揺られなければならないということです。

 さて、パステラリアを出てアウグスタの遊歩道をそぞろあるき、時計台を兼ねた巨大なアーチ型の門をくぐり抜けると、ただいま工事中のコメルシオ広場です。今から400年以上も前――1584年のこと、苦難の航海の末やっとリスボンにたどりついた天正の遣欧使節の少年たちが、上陸後すぐにくぐったがこの門でした。

 ちょうどこのあたりがリスボン万博のメイン会場になるそうです。

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バロック様式の凱旋門


 カシーリャスには、リスボン港の一番右端の桟橋からオレンジ色のフェリーで渡ります。時間は約10分間で90エスクード(63円)と安い運賃設定。ちょうど香港島と九龍側を結ぶスターフェリーのように市民の海の足(あまりに広くて、ここはもう川とは呼べません)として定着しているのでしょう。

 しだいに遠のいてゆくリスボンの町を船上から眺めるのも、風情があってまたいいものです。

カシーリャスが近づいてきました!

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 ファロールはけっこう大きな店ですぐに発見できました。開店時間までにはまだ30分ほど間があるというので、2,3軒となりですでに営業している小さなバルに入って時間をつぶすことにしました。

 立ち飲みカウンター周辺の雰囲気はまったくスペインのバルそのものですが、扱っているつまみの種類がまったく違います。港町らしくイワシやタチウオのフライ、タラのコロッケなど海の幸が中心です。

 カウンターのガラスケースとは別に、生鮮シーフード専用のケースが入り口付近にあります。

 芝エビが新鮮であまりにおいしそうだったので塩ゆでにしてもらうことにしました。飲み物はここでも小瓶のビール――。

 エビ(ガンバス)の塩ゆでは潮の香りがしました。われわれはテーブル席でしたがカウンターでは3人連れの黒人たちがイワシフライとパンで静かに朝食をとっています。ポルトガルの人々は一般に物静かな印象ですが、黒人たちも例外ではありません。

 そうそう、リスボンで感じたことは、かなりのパーセンテージで黒人たちが暮らしているんだなという点です。かつての植民地の違いでしょうが、隣国のスペインとは大いに異なりますね。

 ――どの国にかぎらず港の雰囲気はいいものです……。
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 さて、ファロールが開店する時刻になってきました。そろそろ二軒目のはしごを開始しましょうか。

 さすがに炭火焼き料理が名物というだけあって、テーブル横の大きなガラスウィンドウの向こうでは、バーベキュー係りの女性が大量の炭火を熾(おこ)して、使い込んだ鉄の網の上に手際よく食材を並べています。

 見ているうちに、鶏1羽をまるごと開いたのが10羽ほども並びました。刷毛でタレが塗られて涎がでるほどおいしそうなのですが、残念ながら女房とふたりではとても食べきれません。

 泣く泣くあきらめて、結局好物のあさりのにんにく炒めと、海老・ホタテ・イカなどのシーフードを長い金串にさして焼いてもらうことにしました。量が多いのでこれでも日本人には十分です。

 テーブルの上のパンやチーズが食べ放題なのはいうまでもありません。サービスのつもりなのか、老ウェイーターが丸餅大のチーズをわざわざカットして持ってきてくれました。2軒目なのでお腹がいっぱいでもうこれ以上は食べられません。

 ジャスチャーで断ると、「なんだ、要らないのか……」という表情でそのままユーターンして行きましたが、カウンターの上でもとの丸餅状態になるように切断面をていねいに貼り付けていたのを私は見逃しませんでした――って、そんなことを追求してしどうする。

 目的を果たしたわれわれは――昼食を食べただけなんですが――再びフェリーでリスボン港に戻り、港の土産物屋でアマリア・ロドリゲスのカセットや絵はがきを買いました。カセットの値段は700エスクード(490円)です。

 ここでは、なぜかアマリアのカセットはこれ1本きりしか見あたりませんでした。ファドは売れないのかな?

 このあとに恐ろしい出来事が待ちうけているともつゆ知らず、ノーテンキな日本人夫婦はひとまずホテルへ戻るべくタクシー乗り場に並ぶのでした。
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# by sr_barbieri | 2010-11-14 00:15

3日目―28番のチンチン電車

さて、リスボン滞在も3日目を迎えました。

 朝食には給食じゃない機内食の残りのパン(そんなものがまだあったとは……)を食べて、タクシーでロッシオ駅の近く、リスボン名物のサンタ・ジュスタのエレベーター付近まで直行です。ホテルのレストランでゆっくり朝食なんかしていると、すぐにお昼近くになってしまいますからね。

 エレベータの下のチケット売場で市バス・地下鉄などの路線図(Guia dos Transportes Pu'blicos)を買おうと思ったのですが、残念ながら今はないということでした。

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サンタ・ジュスタのエレベーター


 エレベーターに乗って丘の上のサン・ロケ教会へいこうとさそったのですが、女房は鉄骨がむき出しになった巨大な怪獣のようなエレベーターを仰ぎ見て――

 ――こんな高いの絶対いや!

 と拒否します。実は彼女は極端な高所恐怖症なのでした。観覧車は平気なのに外観に恐れをなしたのでしょう。

 ――じゃ、中に入るだけならどう?

 それだけならということで、扉の開いていた奥のほうの箱に足を踏み入れました。箱の中はかなり広くて、周囲の壁はすべて磨き込まれた木製で、壁の2面には大きな鏡が取り付けられています。対面するようにやはり木でできた古いベンチがあります。時間待ちなのかひとりの陰気そうな中年男が苦虫をかみつぶしたような表情で新聞を広げていました。今のところ他に客はいません。

 ――もう出ましょうよ。

 ――ああ……。

 あまりいい雰囲気でもないので約束どおり箱を出ることにしました。(突然ガタンと動き出せばよかったのに……これ半ば本音)

 さて、水戸黄門の印籠のようなリスボア・カードを所有しているわけですから、こいつを使わない手はありません。今日はチンチン電車であちらこちらへ移動するつもりです。

 まず手始めに、下町アルファマ地区の細い路地をすり抜けて走る28番の市電に乗ってサンタ・ルジア展望台へ行くことにします。

 サンタ・ジュスタのエレベーター付近のアウレア通りから2本東を南北に走るアウグスタ通りに出て、港の方角、つまり南下して行くことにします。アウグスタ通りは遊歩道になっていて、大道芸人や焼き栗売りや花を売る屋台でにぎあうリスボン一の繁華街だそうですが、時間が早すぎるせいかまだ準備中といった風情でした。通りの両側の店もこれからシャッターを開けるところです。このあたりをバイシャ地区(Baixa)というそうです。

 すでにオープンしていたバルというよりパステラリア(パイ菓子店:説明)へ立ち寄ってビッカ(デミタス・コーヒー)を飲みました。

 帰国後ビッカ(bica)を葡和辞書で引いてみたら、「蛇口、栓」とありました。なるほど、エスプレッソ・マシーンの蛇口から直接カップに注がれることからそう呼ばれるのでしょうね。とにかくポルトガル人は甘いお菓子とこのビッカが大好きみたいです。たいていの店が立ち飲みスタイルです。

 アウグスタ通りを港に向かって歩いていると急に奇妙なデジャヴ感が襲ってきました。 

 ――はて、ここはバルセロナのランブラス通りじゃなかろうか……?

 数年前に歩いた朝方のランブラスの雰囲気にそっくりです。後方のフィゲイラ広場のあたりがデパート・エル・コルテ・イングレスのあるカタルーニャ広場、これで前方にコロンブスのモニュメントがあったらまさしくランブラスそのものですが、出口(入口?)には大きな丸時計のついた石造りの荘重な門があり、そのアーチの先のコメルシオ広場には、コロンブスならぬドン・ジョゼ1世の銅像が鎮座しています。大西洋と地中海とでは正反対なのに変な感じです――。

 ガイドブックを開くとアルファマ方面に行く28番の市電乗り場は、港から数えて4本目のコンセイサォン通りだとわかりました。乗り場とはいっても番号の書かれた黄色いポールが立っているだけです。道幅が狭いので道路の中央に市電専用の安全地帯を設けることは不可能でしょうし、またこれで十分だと思います。

 やってきました、やってきました。ガタゴト音をたてながら剥げかけたコカコーラのペイントに彩られた懐かしい旧式のチンチン電車が。

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 この印籠が目に入らぬか――。

 さっそくリスボア・カードを提示して乗り込みます。前乗り後ろ降りです。

 われわれを乗せた28番の市電は東へ東へ進路を取り、サンアントニオ教会とセ・大聖堂の間の急坂を車体をきしませながら登って、いよいよアルファマ地区へと入って行きます。

 このあたりの道幅の狭いこと。一部単線になっているところもあるほどです。それに加えて急カーブと、やはり急な上り下りの連続。へたなジェットコースターよりよほどおもしろいことを請け合います。しかし、さぞや車体は痛むでしょうね。

 あれあれ、どうやら知らないうちにサンタ・ルジア展望台への停留所は通り過ぎてしまったようです。まっ、べつにかまいません。その上(地図では高度はわかりませんが、とりあえず北側)にもグラサ展望台というのが載っています。こうなったら行き着くところまで行ってしまえ(そんないいかげんな)。

 前に座っていた青年に訊ねてみると、自分もそこで降りるからといってくれました。そうこうしているうちにチンチン電車は三角形の広場の横で停車。なんとここが終点らしく乗客全員が降りるのでした。なーんだ。

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三角形のグラサ広場わきの停留場


 先ほど道を訊ねた青年が展望台はあちらだと指で教えてくれました。

 道路工事が目立つ埃っぽい中心部と違ってここはのんびりした雰囲気で心が和みます。教えられた方向にしばらく歩いてゆくと、小さな公園があり、その右手にノッサ・セニョーラ・グラサ教会が見えてきました。教会の前がグラサ展望台です。

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おお! 何ときれいなんだろう!

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QUE BELA!


 思わず、中学英語で習ったまんまの紋切り型の感嘆文が飛び出してしまいました。田舎から出てきたポルトガル人なら「ケ・ベラ!」とでも叫ぶんでしょうね。

 アルファマ地区を眼下に、リスボン市街が手に取るように一望できます。左手のさらに高台にはサン・ジョルジェ城、中央奥の高い建物は滞在中のホテル・メリディアン・リスボアと改装中のリッツ・ホテル、さらにその向こう側には例のアモレイアス・ショッピングセンター、前方左奥に広がるのは大西洋に注ぐテージョ川の河口です。

 教会の前のベンチに黒装束の老婆が座っていました。手には使い込まれたロザリオを握りしめています。話しかけてみると、教会の扉が開くのを待っているといいます。許可をえてお婆ちゃんの写真をとらせてもらいました。

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 そのうちにひとりふたりと同じような黒づくめの老婆ばかりが集まってきました。そろそ教会が開くのでしょうが、異教徒であるわれわれが厳粛なお祈りの邪魔をするのは失礼というものです。丘の上からのリスボンの風景をまぶたの裏に焼き付けて、そろそろもと来た道を下ることにします。

 グラサ広場に戻ると、ちょうど28番の市電2台が時間待ちをしているところでした。

 参考: 

 パステラリア:ところでこのパステラリア(甘いものや)の数の多いこと。タルトやらパイやらチーズケーキやらとにかくリスボンっ子は朝から甘いものにかぶりつきます。どちらかといえば左党の私は、パステイス・ド・バカリャウというタラのすり身のコロッケが気に入りました。さすがにこれは甘くありません。
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# by sr_barbieri | 2010-11-14 00:04

ファドレストラン「セニョール・ヴィーニョ」

さて、いよいよやってきました本場リスボンのファド・レストラン、いやここではリシュボアと呼ぶのが正式でした。 

 地図で見るとセニョール・ヴーニョのあるラパはバイロアルト地区のすぐ西側に位置しています。この近くにはもう1軒、Ayaというファドの店があるようです。

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Sr. Vinho入口


 木製の古びた扉を開けると二人の老人が椅子に腰を下ろしています。どうやらこの店の関係者らしいです。彼らの後ろにもう1枚扉があって、そこから女性ファディスタのもの悲しい歌声が漏れてきます。やもたてもたまらずに入ろうとすると、二人の老人に止められしまいました。

 早口のポルトガル語に耳を澄ますと、歌の途中では入れてやらんけんねといっているようです。

 ――ティエネ・ラソン。(仰せのとおりでございます)

 とスペイン語でいってみたら、なんなく通じました。

 ――エスタ・ノーチェ・クゥワンタス・カンタンテス? (今夜は何人歌うの?)

 には、5人で、男3、女2だといいます。これは少し意外でした。私はファドはすべて女性が歌うものとばかり思っていたからです。男性は伴奏専門だと――。

 さて、やっと曲がとぎれてテーブルにつくことができました。昼間に予約したのがよかったのか、ファディスタの真ん前の特等席でした。ファドの店にはフラメンコなどと違って特別な舞台などはありません。

 至近距離からあのすすり泣くようなポルトガルギターが聞こえてくるんですから好き者にはたまりません。「垂涎」とはこのためにあるような言葉であります。

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 夕食は済ませたばかりなので、ここではワインだけでじっくりファドを鑑賞することにしました。メニューにはビーニョ赤白はもちろん、ポルトワインなども無数にありますが、ここはひとつ、ポルトガル国内でしか味わえないというビーニョ・ベルデ(緑のワイン)を飲むことにしました。緑といっても実際には薄い黄味を帯びた色で、さっぱりした飲み口が特徴です。ベルデは「若い」ぐらいの意味なんですね。

 テーブルの上には初めからレーズンとピーナッツの皿が出ています。いわば居酒屋の「お通し」ですね。とりあえずこれでチビチビやることにしました。あっ、ワインのボトルはもちろんフルサイズです。傍らのワインクーラーで絶えず冷やされています。

 グラスに残りが少なくなったころを見計らって、黒人のボーイが音もなく現れ、ていねいに注いでくれます。だから、一流ファドレストランでは決して手酌なんてしないでくださいね。(だれがするもんか)
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 歌っていたのはマリア・アメリア・プロエンサという年輩のファディスタでした。ベテランらしく、ちょっと癖のある歌いっぷりです。どうして名前がわかったかというと、幕間に(というのは変ですが)、今夜の出演者全員のCDを販売する売り子が各テーブルを回ってきたからです。5人が5人とも自分のCDを出しているとは、この店には一流のファディスタしか出られないというガイドブックの記事は、まんざら嘘ではなかったようです。

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マリア・アメリア・プロエンサ


 隣のドイツ人夫婦が買ったので、私も今聴いたばかりのマリア・アメリア・プロエンサさんのを1枚買いました。値段は4000エスクード(2800円)でした。こんな場所ですから、少々高めなのはいたしかたありませんね。

 恰幅のよい男性歌手~長髪美男子のファディストと続き、最後に登場したのが今夜の真打ちらしき女性歌手、マリア・ダ・フェでした。

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マリア・ダ・フェ


 染めているのかもしれませんがリスボンには珍しい金髪で、もちろん全身黒づくめ、顔つきはまるで猫のような印象ですが、演奏が始まると照明が落とされテーブルに置かれた蝋燭の明かりだけですから、表情までははっきりとはわかりません。

  しかし、とにかく彼女が第一声を発して驚きました。すごい声量に加えて表現力の豊かさ。ああ、これがバッタもんやない本物のファドなんだなと思い知らされました。別に、かつてファドまがいの歌をうたっていた『異邦人』の久保田早紀やちあきなおみがどうだというつもりはありません。

 ファドはフラメンコ・ダンスのようにカルチャー・センターで気軽に学べるジャンルでないことは確かであります。もっとも、フラメンコでもカンテ(歌)となると同様でしょうが……。その点、本格的にリスボン・ファドに取り組んだ大阪在住の月田秀子さんはエライ! 私はこの方と同じ大学の出身なのでほめるわけではありませんが、真の意味で”Fadista Niponica”と呼べるのは彼女をおいていないでしょう。直接お送りいただいた初CD『サウダーデ』はずっと私の愛聴盤になっています。

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 さて夜も更けてきて客もまばらになってきました。とっくにワインも空いてしまいました。最後に熱いビッカ(濃いデミタス・コーヒー)でも飲んで、そろそろお勘定をすることにしましょう。

 ――オ・セニョール、コンタ・ポルファボール。

 酔いが回っていますから、今度は怪しげなポルトガル語です。

 ――ムイント・オブリガード。

 ボーイの持ってきたレシートを見ると、ビーノ・ベルデ・フルボトルとビッカで、6000エスクード(4200円)とお値打ち価格でした。食事をとらなければチャージは知れたものですね。

 店に頼んでタクシーを呼んでもらい、ホテルに着いたのは結局午前1時前でした。夜間料金なのにタクシー代は約500エスクード(350円)と安い。リスボン市内は狭いんですね。ファドレストランのあたりは深夜になると治安がよくないのか、店の人は、タクシーが到着するまで入り口のドアにしっかりと鍵を掛けていました。

 ファドとビーニョ・ベルデに酔っぱらって、午前2:30に就寝。
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# by sr_barbieri | 2010-11-13 23:55

リスボンの中華料理店リ・ユァンで食べたもの

リ・ユァン――漢字で書くと麗園です。

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地元のビール シューペル・ボック

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カモ肉のパイン炒め

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五目焼きそば 広東風でした

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デザートのマンゴー

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# by sr_barbieri | 2010-11-13 23:38

アモレイラス・ショッピングセンターの食品売り場

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甘いものコーナー

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悟空もいます

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すべてが大きいですね

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お惣菜コーナー

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揚げたもの各種

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# by sr_barbieri | 2010-11-13 23:32